伊達政宗は松島にある平安時代からの禅寺「松島青龍山瑞巌円福禅寺」が廃れていたのを見た虎哉禅師のすすめで、現在の大伽藍に建て替えました。「民安んじ、国安んじるため」戦国時代になくなった多くの菩提を弔うための寺としたようです。
それ以降伊達家の菩提所となり、藩主の避暑に使われたりしました。
工事は慶長9年(1604)から、桧、杉、欅を熊野から取り寄せ、京都・根来の名工が5年がかりで完成させました。
大工 梅村彦左衛門家次(京都の人) 130名の名工を京からつれてきた。
匠人 刑部左衛門国次(オサカベ サエモンクニツグ 紀州の人)
伝説の左甚五郎のモデルになったといわれます。
絵師 狩野左京・長谷川等胤・吉備幸益(東北に根付いた人)

本堂の正面39m、奥行き25.2mで入母屋造り、本瓦葺、部屋数10室。
東南西に上縁、下縁を巡らし、室内への入り口の扉や欄間の総透かし彫りの彫刻は重厚で見事なものです。中は写真撮影禁止なので載せられませんが、開いた扉から欄間の様子が伺われると思います。
拝観は上縁からぐるーっと周り、室内をのぞきながら、天井の様子、襖絵の豪華絢爛さに息をのみます。縁側の板の厚さは刀が通らないように何十センチもの厚さがあるそうです。
今回は特別の配慮で本堂正面孔雀の間に入れていただき、僧侶の説明を聞かせていただきました。周りの襖は狩野左京筆(狩野光信の弟子)松に孔雀の金箔絵です。劣化が激しかったので、昭和60年から10年がかりで復元されたものだそうです。
孔雀の間の隣は文王の間、障壁画は長谷川等胤の筆による古代中国の故事を主題にした「周文王狩猟図」です。この絵も復元されてあざやか色彩をはなっています。伊達家の親戚が詰める部屋です。
その奥は上段の間です。政宗をはじめ歴代藩主が瑞巌寺を訪れたとき使用しました。その襖は「四季花卉(かき)図」「牡丹図」長谷川等胤の作です。すべて金箔に極彩色に描かれています。 上段の間の隣が上々段の間、天皇のお休みになる部屋だそうです。
上段の間の後ろの壁が開くようになっており、奥が武者隠しの部屋になっているそうです。
そしてその後ろは上縁、下縁が回っており、庭に馬を引いてきたらそのまま馬に乗れる高さになっていると話しておりました。藩主は常に何があっても生き延びられるように考えて建物も設計しているようです。
床下からも刀が通らないような板の厚さ、庭から槍が届かないような距離を保つ、上縁、下縁の幅の広さです。
本堂の北隅には「墨絵の間」があります。住持の応接間にあたり、吉備幸益の寒山拾得(かんざんじっとく)や龍虎図の墨絵の襖です。
菊の間、松の間と襖絵の柄で名前がついています。従者や僧侶の部屋のようです。
孔雀の間の右隣は鷹の間で力強い鷹の絵が描かれています。現在は法事の際使われているそうです。
孔雀の間の奥は仏間で初代藩主伊達政宗公の位牌と二代藩主伊達忠宗公の位牌がすぐ目の前にあり、花をお供えしてあり、丁度若い僧侶が掃除をしておりました。
その後これも特別拝観で(期間限定で何日間か公開)本堂の裏にある埋木書院に案内していただきゆっくり拝観できました。

皇室の方が見えたとき使用された国宝の御成玄関の軒の枡組みについている「象の鼻」です。慶長年間(1605〜1609)に象を見た大工がいたのかなあ?と不思議に思う造りです。仏画で知っていたのかな?

瑞巌寺の中で警備していた係りの方が教えてくれた「一般の方は気がつかないところです」と。御成玄関の外に回ってみた欄間にも象の鼻がついています。国宝なので壊れても簡単に修理ができないそうです。中は雨漏りがするそうです。

瑞巌寺本堂脇の庫裏、禅宗寺院の台所、国宝です。13.78m×23.64mの大きさです。煙だしはいざ戦いの時の見張り櫓の代わりをするように造られているそうです。

庫裏の戸は開いていますので土間に入って見ることができます。

瑞巌寺の中門から表門の方を眺めますと松島湾の海が見えます。ガイドさんは民謡「大漁歌いこみ」の歌詞「前は海、、、、、、」がよくわかるスポットですと話ておりました。両側の杉木立はパワーをもらえる場所だそうです。
仙台→仙石線35分→松島海岸駅→徒歩約15分→瑞巌寺
所在地 宮城県宮城郡松島町松島字町内91
拝観時間 8時から16時30分(冬期15時30分)
拝観料 大人 700円 小・中学生 400円
電話 022-354-2023