陸奥国分寺

国分寺跡

国内最北に位置する国分寺です。天平13年(741)聖武天皇の勅願で建てられましたが、創建時の伽藍は源頼朝の命により、義経打倒で平泉に向かう奥州藤原氏征伐軍のため、焼かれてしまいました。

七重塔、七堂伽藍・三百坊を数える大寺院であったと伝えられていますが、礎のみ残っています。 慶長12年(1607)10月政宗はその跡地に薬師堂と仁王門を再建したものが現在も残っています。

仁王門

仁王門

 

政宗によって慶長12年(1607)に再建された茅葺屋根の仁王門です。
 中の運慶作と伝えられる仁王様は修理のため持ち出され、中は空っぽでした。
 仁王像には足が強くなるようにと大わらじが奉納され、格子にはお参りした人々がくくりつけたわらじがいっぱいぶらさがっておりました。

薬師堂

薬師寺

薬師堂は桃山様式の方五間、向拝をつけ勾欄をまわした単層入母屋造り、本瓦葺で重要文化財に指定されています。
向拝に昇殿させていただき内部の説明を聞いてきました。

薬師堂内部

薬師堂内部

薬師堂内部には大きな家の形をした厨子があります。扉には彫刻が施してあり、明るいところでみたら極彩色の彩色のなごりが見られるかも。
  中には秘仏薬師如来像が安置されているそうです。厨子の両脇の須弥壇には日光菩薩、月光菩薩が安置されているそうですが、お供えしているお花の陰で見えませんでした。

蘇民将来(そみんしょうらい)

政宗・蘇民将来

薬師寺向拝内左手に置かれていました。何だろう?とみると説明が付いていました。
蘇民将来とは実際は3センチ程の小さなもので、昔子供の兵児帯に結びつけると天然痘にかからないと信じられていたお守りで、飾りのようなものだそうです。向拝内部におかれていたものは拡大模型で高さ70センチくらいはありました。

木之下駒

    

政宗・木之下駒

       

木ノ下駒の拡大模型も向拝内部に飾られていました。木ノ下駒は日本三大駒の一つ(三春駒、八幡駒)であり、実際は小さなもので、馬の疫病除けの身代わりに馬小屋につるしたと書いてありました。
   江戸時代このあたりで馬市が開かれていたので、馬を買った人が馬の身代わりにこの木之下駒の飾りも求めていき、多く造られていましたが、いつか作る人も絶えたそうです。

    

力石

    

政宗・力石

    

陸奥国分寺の境内にある力石です。寛延2年(1749)相撲の横綱谷風のお母さんが子供を授けてほしいと願掛けして薬師堂にお参りしており、満願の日に参道に牛がいて通れず帰ろうと思ったが、満願だったので脇をとおりお参りした。
帰りに見たら牛が石になっていたと言われる力石、そして生まれたのが横綱二代谷風梶之助だそうです。(1750年〜1795年)それ以来この石にさわって祈願すると力の強い男の子が授かる言い伝えられているそうです。

    

ぼんぼこ槍

    

政宗・ぼんぼこ槍

    

薬師寺の社務所で売っていたので「お正月の破魔矢ですか?」と聞いてみたら「ぼんぼこ槍です」と。開運厄除けの縁起物でずーっと飾っていてもいいとのことです。

       

伊達政宗が朝鮮へ出兵(文禄の役)させられたとき、国分寺の薬師如来に無事帰国できるようにと祈願し、成就できたら伽藍を再建し、奥州鎮護の根本道場なれば「千本槍を奉納します」と薬師如来に誓いをたてたそうです。
無事帰国後、千本槍は他を憚って供えることは出来なかったが、誓いを違える訳にはいかず、竹串の先端に剣先の御幣を挟んで槍に見立て、秀吉から許された千成瓢箪を結びつけて薬師如来に奉納したのだそうです。

       

これに因んで「小さな鉾槍(纏)を象った物」なので坊鉾槍(ぼうぼこやり)、「仏殿に奉ぜられた鉾槍」のゆえ梵鉾槍(ぼんぼこやり)と呼ばれ、白山宮の節句祭の折、開運・厄除けの縁起物として頒布されるようになったと由来書に書いてありました。

  

アクセス

  

仙台駅から大和町行きバスで約20分 薬師堂下車 徒歩約3分
所在地  仙台市若林区木ノ下3−8−1
拝観時間 境内は自由
電 話   022-291-2840

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