
松島に円福寺を開いた慈覚大師円仁は、ここに五大明王を祀る五大堂を建立しました。しかしその後荒れ放題になっていたのを仙台藩主伊達政宗が慶長6年(1601)から再建に着手し、慶長9年(1604)に完成しました。
堂の本体は一辺6メートルほどの正方形で、四方に勾欄つき縁を巡らせ正面に向拝をもつ桃山様式のお堂です。工人は松島瑞巌寺、大崎八幡宮を建てた工人たちです。
政宗が瑞巌寺に先だって再建したもので、東北地方最古の桃山建築といわれています。

五大堂の屋根の下扉の上には十二支の動物が彫られています。一辺に3匹四方で12匹です。写真は来年の干支丑です。
五大堂は朱塗りだったそうで、その名残が北側に赤く残っています。
堂内に安置されていた秘仏の五大明王は、現在瑞巌寺の宝物館に安置されています。(非公開)
仙台→仙石線35分→松島海岸駅→徒歩約10分→五大堂
所在地 宮城県宮城郡松島町松島字町内111
拝観時間 境内は自由 (夕方閉門)
電話 022-354-2023(瑞巌寺)
瑞巌寺の左隣には白華峰「円通院」があり、政宗の孫光宗が祀られています。光宗君は幼少の頃より文武に優れ、伊達家の将来を嘱望されていましたが19歳で亡くなりました。
その死因は毒殺説と病死説が伝えられているそうです。

国指定重要文化財「三慧殿」(1646年)二代藩主忠宗の建造。政宗の孫、19歳で亡くなった光宗の霊屋です。宮殿型厨子の中には白馬にまたがった衣冠束帯姿の光宗と、殉死した七人の像が祀られている。
宮殿型厨子の扉などには支倉常長がヨーロッパから持ち帰った様々な文化を模様としているため、鎖国をしている徳川幕府をはばかって、霊廟と申し立て350年間公開しなかった秘蔵の厨子だそうです。(日本最古の洋バラ、クロスつなぎ、ダイヤ、クローバー、ハート、スペードの模様など支倉常長がヨーロッパから伝えた西洋文化の影響と言われています。)

本堂の「大悲亭」は光宗君の江戸納涼のための亭でしたが、亡くなられたので忠宗公が正保4年(1647)解体移築したものです。
寄棟造茅葺の建物で松島町指定文化財になっています。

石庭「地の庭」いのちを意味しているそうです。石はすずり石で、左は割っただけの石、まん中はたたいた石、右奥はみがきをかけた石、「人生そのものです」と若い女性副住職の説明でした。
写真左奥にうつっているのは「天の庭」松島湾に実在する七福神の島を仏の庭として表しているそうです。松島湾は白砂で表し、周囲の山々はコケで表しています。

円通院本堂前の小堀遠州作の庭。伊達藩江戸屋敷にあった小堀遠州作の庭を移設したといわれています。「大悲亭」前の心字池の庭、大悲亭からの眺めがいいように造られています。
仙台→仙石線35分→松島海岸駅→徒歩約10分→円通院
所在地 宮城県宮城郡松島町松島字町内67
拝観時間 8時30分から17時(12月は9時から15時30分)
電話 022-354-3206